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東京地方裁判所 平成10年(ワ)3202号 判決 1999年4月22日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

白上孝千代

被告

不二建業株式会社

右代表者代表取締役

齋藤武男

右訴訟代理人弁護士

坂東司朗

坂東則子

池田紳

石田香苗

澤田雄二

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金三九一五万二〇九一円及びこれに対する平成九年三月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告が道路上に敷設したビニールシート(マット)上を歩行していた原告が滑って転倒し、負傷したことにつき、原告が被告に対し、右事故は、右ビニールシート(マット)が非常に滑りやすかったためであると主張して、不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。

一  前提事実(証拠を掲げない事実は、当事者間に争いがない。)

1  原告は、平成九年三月一六日午後二時四〇分ころ、東京都渋谷区神宮前<番地略>先道路(以下「本件道路」という。)を青山通りから自宅に向かって歩行中、滑って転倒した(以下「本件事故」という。)。(甲一六、甲一七、証人甲野、原告本人)

2  原告は、本件事故によって左大腿骨頸部を骨折し、人工骨頭置換手術を受けた。(甲一、甲二、甲一七、原告本人)

3  被告は、本件事故当時、東京都渋谷区神宮前五丁目<番地略>(以下「本件土地」という。)においてビル新築工事(以下「本件工事」という)を請け負っていた。被告は本件工事のために、本件土地に通じる本件道路上を重量建設機械や土石建築材料運搬車両等を通行させる必要があったが、本件道路の地下には近隣建物の生活排水陶管が埋設されていたため、その損壊を避けるため、青山通りから本件土地に通じる、簡易舗装されていた本件道路の上に、幅約4.5メートル、長さ九〇メートルにわたって、鉄板を敷き、その上に塩化ビニール樹脂製のマット(以下「本件マット」という。)を敷設して鉄板を覆っていた。本件事故は、本件マット上で発生した。(乙一、乙三の一二ないし一五、乙一一、証人乙川)

二  争点及び争点に関する当事者の主張

1  原告が本件道路上での本件事故により傷害を被ったことにつき、被告が本件道路上に敷設した本件マット自体が安全性を欠いていた、あるいは、被告による本件マットの使用方法が適切を欠くといった事実が存し、被告に本件道路上を歩行する歩行者の安全のための措置を採らなかった過失があったといえるか。

(一) 本件マット自体が歩行者にとって安全性能を欠いていたか。

(原告の主張)

本件マットは、新品であって、水濡れを許さない、すべすべした光沢のある、周密な組織を有するものであり、通常の道路におけるアスファルト舗装に比べて摩擦係数が非常に劣るものであった。加えて、本件事故時、本件マットは雨で濡れており、一層滑りやすくなっていた。

原告としては、本件道路上を注意しながら歩行していたにもかかわらず本件事故に至ったもので、被告が本件道路上にこのように滑りやすい本件マットを敷設したことについては、本件道路上を歩行する歩行者の安全を確保することを怠った過失がある。

(被告の主張)

本件マットは、安全・快適な歩行という使用目的に適うよう、滑り抵抗等を計算して開発されたものであり、その開発途上において安全性について十分な試験を行い、安全性を確認したうえで製造されているものであり、製品である本件マットに性能面での問題は全くない。

(二) 被告が本件道路上に敷設する素材として本件マットを選択したことが目的外使用にあたるか。

(原告の主張)

本件マットは、安全性の高い地下足袋、ゴム長靴等を履いた作業員が歩行する建築土木工事現場において使用することを目的とするものであり、一般公衆が歩行することを目的とするものではない。にもかかわらず、被告が本件マットを一般公衆が歩行する本件道路上に敷設したことは、目的外の使用である。

(被告の主張)

本件マットは一般の通行人が歩行することも予定していたものであり、目的外の使用ではない。

(三) 本件事故時の本件マットの敷設状況が適切さを欠き、その結果本件事故に至ったといえるか。

(原告の主張)

本件事故時、本件マットの下に敷かれていた鉄板相互間及び鉄板と路面との間には隙間や凹凸があって不安定であった。そのため、その上に敷かれた本件マット自体にも皺があったり、鉄板の隙間や凹凸の結果を反映して引っかかりやすかった。また、本件マット及びその下に敷かれた鉄板は、中央部が高く両端に向かって傾斜しているという道路の傾斜に従ったままであった。このように、本件事故は、被告による本件マットの敷設方法が適切さを欠いたことにより起こったものである。

(被告の主張)

本件事故当時、本件マットは、本件道路上にほぼ水平に敷設されており、歩行者にとって危険な敷設状況ではなかった。

本件事故は、原告が本件マットの凹凸に躓いて転倒したとか、あるいは本件マットが足元でずれたために転倒したというものでないから、原告のその余の主張は、考慮する必要はない。

2  原告の損害及びその額

(原告の主張)

(一) 原告は、本件事故により、本件事故直後から平成九年五月二日まで厚生中央病院に入院し、リハビリテーションを行った。

本件事故により原告は、歩行障害が残り、杖をついて五〇〇メートル以内、一キログラム以内の荷物を提げて一〇〇メートル以内の歩行しかできず、家事労働もほとんどできなくなった。原告の右障害は、後遺障害別等級七級九号に該当する。

(二) 原告が本件事故により被った損害額は以下の合計四〇二九万四六〇一円である。これに対し、被告は、一一四万二五一〇円を支払ったのみである。

(1) 治療費 五四万二五一〇円

(2) 休業損害 三七万九二二六円

(3) 逸失利益二六二八万二八六五円

(4) 慰謝料 一五八万円

(5) 後遺症慰謝料 一〇五一万円

(6) 弁護士費用 一〇〇万円

(被告の主張)

被告が原告に一一四万二五一〇円を支払ったことは認めるが、原告の損害及びその額については知らない。

第三  争点に対する判断

一  前記前提事実並びに証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  本件事故の状況

(一) 原告は大正一五年三月一八日生まれで、本件事故当時は、七〇歳であり、主婦として家計を切り盛りするほか、夫である甲野太郎が営んでいる不動産賃貸業の事務の補助等もしていた。(甲一、甲一六、証人甲野)

(二) 原告は、平成九年三月一六日、三越日本橋店において漬物を購入した後、地下鉄銀座線三越前駅から地下鉄に乗車し、表参道駅で下車して自宅へと向かった。(甲一七、原告本人)

(三) 原告は、右同日午後二時四〇分ころ、青山通りから「中島ビル」の角を右折して本件道路へと入った。原告は、右中島ビルから約五〇メートルほど本件道路を歩き、「ぴゅあビル」一階の割烹料理店「湖月」の前の本件道路の進行方向右側路端より五〇センチメートル付近を歩行していたところ、右足を右斜め前に滑らせ、ほぼ同時に左足も左横方向に滑らせ、股裂きの状態で左腰のほうから本件道路に落下して転倒した。(甲一七、原告本人)

本件事故時、原告は、片手に折り畳み傘と買物袋を持ち、反対の手にハンドバッグをさげ、かかとに硬質ゴムを打ちつけたパンプスを履いていた。(甲七、甲一七、原告本人)

(四) 原告の夫である甲野太郎は、原告が転倒したのを原告宅前道路上で目撃して、本件事故現場に駆けつけ、救急車を呼んだ。やってきた救急隊員は原告をストレッチャーに乗せて救急車に運び入れ、原告を厚生中央病院まで搬送した。(甲一六、甲一七、証人甲野、原告本人)

右救急隊員は、原告を搬送する際、「路面のビニールシートが滑るから注意するように。」「ビニールシートはスリップするぞ。注意して行け。」などと発言していた。(甲一六、甲一七、証人甲野、原告本人)

(五) 本件事故が発生した当日は、前日からの小雨が降ったりやんだりしていたが、本件事故時には雨はやんでいた。しかし、本件マットは雨で濡れたままとなっていた。(甲一六、甲一七、証人甲野、原告本人)

(六) 本件事故が発生した現場は、原告宅から一〇〇メートルほど離れたところにあり、原告は本件道路を頻繁に利用していた。また、本件工事にあたっては、本件道路に工事中である旨の看板が設置されており、本件道路がそのための仮設道路として使用されていること、本件土地で本件工事が行われていることは一見して明らかな状況にあった。(乙一一、証人乙川、証人甲野、原告本人、弁論の全趣旨)

2  本件マットの敷設状況

(一) 被告の従業員で、本件工事の工事担当責任者であった乙川一郎は、本件道路上に鉄板及び歩行用マットを敷設するにあたって、本件マットのパンフレットを検討し、本件マットのメーカーから説明を受けたうえで、本件マットを使用することを決定した。乙川は、本件マットを使用するのは本件工事は初めてであった。(証人乙川)

(二) 被告は、本件工事を実施するため本件道路上に鉄板を敷設するに先立ち、平成九年一月二八日、本件道路の使用許可申請をし、同月三〇日、警視庁渋谷警察署長より右許可を得た。被告は、右申請の際、本件道路に敷設する鉄板上に歩行用マットを敷設する旨を申請書の添付図面に記載し、本件マットを渋谷警察署に持参している。また、被告は、同年八月一八日、本件道路の使用許可延長申請をし、同月二一日、警視庁渋谷警察署長から右許可を得た。被告は、右申請の際、本件マットのパンフレットの写しを申請書に添付している。(乙二の一ないし一八、乙三の一ないし三一、乙一一、証人乙川)

(三) 被告は、平成九年二月初めころ、本件道路に本件マットを敷設した。(甲一四、甲一六、甲一七、乙一一、証人乙川、証人甲野、原告本人)

(四) 被告は、平成九年二月ころ、本件道路に本件マットを敷設するにあたっては、まず本件道路上に厚さ約一〇ミリメートルの「ショックトール」と称する緩衝材を敷き、その上に厚さ約二二ミリメートルの鉄板を配置し、さらにその上に、全面にわたって複数枚の本件マットを敷きつめ、本件マットを接着剤とガムテープで固定した。(甲三ないし六、乙三の一五、乙一一、証人乙川、証人甲野)

(五) 被告は、本件事故後、砂が混合された接着剤を本件マットに塗布した。(甲三ないし六、甲一四、甲一六、乙一一、証人乙川、証人甲野)

(六) 本件事故後、乙川は、本件道路を除いては、本件マットを使用していない。(証人乙川)

3  本件マットの歩行上の安全性

(一) 本件マットは、軟質塩化ビニール樹脂を主原料とする、厚さ約二ミリメートル、幅91.0センチメートル、長さ一〇メートルのマットであり、丸井産業株式会社が「マルイ歩行マット」の名称で商品として販売している。(乙一、乙八)

(二) 本件マットのメーカーであるシーアイ化成株式会社(以下「シーアイ化成」という。)は、本件マットの販売に先立ち、本件マットの歩行上の安全性をテストするため、本件事故前である平成五年九月、すべりに関する専門家である東京工業大学教授小野英哲教授(以下「小野教授」という。)に本件マットの試験を依頼した。(乙八ないし一〇)

小野教授は、右依頼を受けて、本件マットとほぼ同種のサンプルの安全性について試験したところ、右サンプルのすべり抵抗係数(以下「CSR値」という。)は以下のとおりであった(なお、以下の「すべり片」とは、歩行が想定される履物を指す。)。(乙四の一ないし乙五、弁論の全趣旨)

すべり片 サンプルの状態 CSR値

長靴   清掃状態 0.878

足袋   右同 1.004

長靴   水及びダスト散布

0.700

足袋   右同 0.718

(三) シーアイ化成は、本件事故の報告を受けて、平成九年七月、本件マットの安全性に関する試験を、再び小野教授に依頼した。(乙八)

小野教授は、右依頼を受けて、本件マットと同一のサンプルの安全性について試験したところ、本件マットのCSR値は以下のとおりであった。(乙六の一ないし乙七)

すべり片 サンプルの状態 CSR値

紳士靴  清掃状態 0.628

婦人靴  右同 0.847

紳士靴  水及びダスト散布

0.559

婦人靴  右同 0.610

(四) 通常の歩行を想定した場合、おおむねCSR値は0.4以上0.8ないし1.0以下が許容範囲とされ、右範囲を逸脱する場合は安全性に欠けるとされている(CSR値が低いほど滑りやすい)。(乙四の六、乙六の五、乙九、乙一〇)

(五) 本件マットは、平成六年六月ころに販売が開始され、平成一〇年一〇月までの時点で合計一万一〇〇〇メートル以上が販売されたが、シーアイ化成には、本件事故を除き、本件マットに関する事故は報告されていない。(乙八)

4  本件マットの特性

(一) 本件マットのパンフレット(乙一)には、本件マットの主な施行例として、「現場前の通行歩径路に」「現場事務所出入り口用に」「コンクリート養生と歩径路に」「足場用歩行に」との記載がある。

(二) 右パンフレットには、本件マットの特長として、以下の記載がある。

(1) 建築土木現場内・外に仮設用として使用する、軟質塩化ビニールマットです。

(2) ノンスリップ性能に優れたドーナツ模様を採用し、環境に優しい、うぐいす色の高級感有る、仮設用マットです。

(3) 工事中の出入り口や階段に、また、床材等の養生用としても御利用頂けます。

(4) その他、広巾用途で御使用頂けます。

二 前記認定の事実によれば、被告は、本件工事にあたり、歩行者が通行する公衆用道路である本件道路上全面に九〇メートルにわたって鉄板を敷きつめる必要があり、歩行者の歩行の安全確保のために右鉄板上に全面に本件マットを敷設していたことが明らかである。そうであるとすれば、本件マット上を多数の一般の歩行者が通行することは当然に予想されたのであるから、被告としては、一般の歩行者が転倒等の不測の事故に遭わないよう、これらの歩行者の歩行上十分な安全性のあるマット等を選択したうえ、さらにこれらのマット等を適切に敷設する注意義務を負っていたというべきである。そこで、以下、右の注意義務を被告が怠ったといえるかという観点から、前記一で認定した事実を前提にして本件の争点について判断する。

1 本件マット自体が歩行者にとって安全性能を欠いていたか

(一)  前記認定のとおり、小野教授の右各試験の結果によれば、本件マットのCSR値は、水及びダストを散布した状態においても最低で0.559(紳士靴をすべり片とした場合の値)である。

右各試験の結果については、その信頼性を疑わせるような事情は特に存しない。それどころか、右各試験は東京工業大学の小野教授という第三者に依頼してなされたものであること、小野教授はすべりに関する専門家であること、右各試験のうち一回目の試験は本件事故以前になされていること、本件事故後になされた二回目の試験も一回目の試験の結果と比べるとその結果は合理的なものであると評価できることからすると、右各試験の信頼性は十分あるものというべきである。そして、CSR値は0.4以上が安全とされていることからすると、本件マットのCSR値は安全と評価できる範囲内に収まっているのであるから、本件マット自体の安全性能に問題はないといえる。

(二) これに対し、原告は、本件マットの安全性能を試験するには「制動停止距離法」によるべきであると主張する。しかし、その主張の根拠は明らかではなく、また、制動停止距離法によった場合、本件マットが安全性に欠けるという結果が得られるとの証拠もない。

また、原告は、前記各試験は人間が歩行するメカニズムに則ったものではないから、原告の歩行中に発生した本件事故の現実にそわないと主張する。しかし、小野教授の報告書(乙四の一ないし三〇、乙六の一ないし二〇)や同教授らの論文(乙九、乙一〇)においては、許容範囲とされるCSR値は通常の歩行を想定して定められているのであって、右各試験は人間の歩行を念頭に置いたものであることは明らかである。

さらに、原告は、通常の道路におけるアスファルト舗装に比べて本件マットは滑りやすいと主張する。確かに、本件マットが水に濡れている場合、アスファルト舗装に比べて滑りやすいことは容易に推測できるというべきであるし、小野教授の前記各試験の結果によれば、本件マットは清掃状態の場合に比べて水及びダストを散布した場合のほうがよりCSR値は低く、滑りやすくなっていることが認められる。しかし、本件マットを過度に滑りにくくすれば、歩行する際の快適さを損ったり、かえってつまずきなどによる事故が発生する危険性が増加することも考えられるのであるから、本件マットがアスファルト舗装と同程度の滑りにくさを有しない限り安全性に欠けるとするのは妥当ではない。

(三) なお、本件事故の発生直後、現場に臨場した救急隊員が、「路面のビニールシートが滑るから注意するように。」「ビニールシートはスリップするぞ。注意して行け。」などと発言していたことは前記認定のとおりであるが、これは、救急隊員としては、本件マットが安全であるか否かはその場で明確には確認できないから、本件マット上で原告が転倒したことをふまえ、いわゆる二次災害のおそれも念頭に置いて、より慎重な行動をとるべくなされた発言にすぎないと考えられる。したがって、右発言をもってただちに本件マットが安全性に欠けるとすることはできない。

また、被告は、本件事故後、砂が混合された接着剤を本件マットに塗布して本件マットをより滑りにくくしていること、乙川は、本件事故後、本件道路を除いては本件マットを使用していないことも前記認定のとおりであるが、これらは本件事故が発生したことをふまえて再び転倒事故が発生しないよう念のためなされた処置と見るべきであるから、これらの事実をもって本件マットが安全性に欠けるとすることはできない。

2 本件マットを選択、使用したことが目的外使用にあたるか

(一)  前記認定のとおり、本件マットのパンフレット(乙一)には、本件マットの主な施工例として、現場前の通行歩径路、現場事務所出入り口用、コンクリート養生歩径路等が挙げられている。また、右パンフレットには、本件マットの特長として、建築土木現場内のみならずその外においても使用すること、ノンスリップ性能に優れたマットであること、その他広範用途で使用できることが挙げられている。これに対し、右パンフレットには、本件マットの使用を建築土木工事現場においてのみ限定する旨の記載は存しない。さらに、本件マットの開発にあたったシーアイ化成の丙山二郎の陳述書(乙八)には、「本件マットの開発にあたっては、主として歩行頻度の高い建築作業員を想定しながらも、従としては、これらの取引関係者及び一般の通行人なども想定していた。」との記載がある。

これらを総合すれば、本件マットが建築土木工事現場においてのみ使用されることを目的としたものであるとは認められず、むしろ、一般人が通行することが予定される場所での使用もその目的となっていたものと認められる。

(二) これに対し、原告は、右パンフレットには本件マットの施行例として建築土木工事現場が挙げられていること、右パンフレットには建築土木工事現場の写真が掲載されていること、右パンフレットには本件マットの特長として「工事中の出入り口や階段に、また、床材等の養生用としても御利用頂けます。」との記述があること、乙第二号証の一七及び乙第三号証の二六(建築パーツ総合カタログの写し)によれば「養生」との記載があるページに本件マットが掲載されていることから、本件マットは建築土木工事現場において使用することを目的とするものであり、本件道路上には、甲第一八号証のパンフレットにあるようなゴムマットを敷設すべきであって、そうすれば、本件事故は防ぐことができたと主張する。

確かに、右丙山の陳述書(乙八)にもあるとおり、本件マットは主として建築土木工事現場において使用されることが想定されていたことは認められる。しかし、右パンフレットの施工例には「歩径路」として本件マットが使用できることが記載されているが、右「歩径路」が建築土木現場で作業する者のみが歩行することを想定しているとは右パンフレットからは窺えない。むしろ、右丙山の陳述書でも指摘されているとおり、建築土木工事を実施するにあたっては、その付近を一般人が通行せざるを得ないことはままあるのであるから、右「歩径路」は一般人の通行も予定しているものというべきである。そうすると、原告が主張する右パンフレットの記載については、本件マットが主として建築土木工事現場において使用されることが想定されていたことによるものにすぎず、これをもってお本件マットは一般人の歩行が予定されていなかったと認めることはできないから、被告が本件道路上に本件マットを敷設したことは、本件マットに予定されていた用法の範囲内であったと認めるべきである。

3 本件事故時の本件マットの敷設状況

原告は、本件事故時、本件マットは、皺があったり、引っかかりやすい状態にあり、傾斜したままになっていたと主張し、T、証人甲野及び原告本人もこれを裏付ける供述をする(甲一四、甲一六、甲一七、証人甲野、原告本人)。

しかし、証人乙川はこれを否定する供述をしているし、本件事故後約半月後に撮影された本件事故現場の写真(甲三)を見ても、本件マットとは別の緑色マットがめくれている状況は認められるものの、右緑色マットの周囲に敷設された本件マットは特段皺が寄っていたり、引っかかりやすい状況にあると認めることはできない。また、本件事故後約八か月後に撮影された本件事故現場の写真(甲四ないし六)を見ると、本件マットにわずかに皺が生じていたり、本件マットの一部が破れてその部分がわずかにめくれあがっていることは認められるが、それらが歩行に支障を生じる程度にまで至っているとは認めることができない。そして、他に原告の右主張を裏付ける証拠はない。そうすると、本件事故時に本件マットが不安定な状態にあったと認めるには足りないし、仮に、不安定な状態にあったとしても、本件事故が、原告が本件マットの凹凸に躓いて転倒したとか、本件マットが足下でくずれたために転倒したというものでないことからすると、本件事故当時の本件マットの敷設状況が歩行にあたって安全性を欠く程度にまで至っていたと認めるには足りないというべきである。

4  その他の事情

(一) 本件事故は白昼発生したものであって、本件道路に本件マットが敷設されており、それが雨で濡れていたことは容易に認識可能であった。

(二) 本件マットについては本件事故以外に転倒事故が発生したと認めるに足りる証拠はない。

5 以上1ないし4で検討した結果によれば、本件マットについては、小野教授の鑑定の結果に照らしても、雨に濡れた場合にはアスファルト舗装に比べてある程度は滑りやすくなるとはいえ、歩行者が通常歩行する際の安全性を欠いていたとまで認める余地はないし、被告の担当者が本件道路に敷いた鉄板の上に本件マットを敷設するべくこれを選択したことについても、本件マットのパンフレットで予定されていた用法に従った通常の使用方法の範囲内であったと認められ、その敷設方法が適切を欠いた結果本件事故に至ったというような事情も存しないというべきである。

なお、右のとおり本件マット自体の安全性も認められるというべきであるが、前記認定のとおり、本件マットが一般人の通行する場所での使用も予定して市販されているものであることからすると、そのような素材を被告が本件道路上に敷設するについては、本件マットのパンフレットの用法に従ってこれを適切に敷設しさえすれば、その後、本件マットが明らかに歩行者の歩行の安全に沿わないといった事実が判明したような場合は格別、被告としては前記注意義務(一般の歩行者が転倒等の不測の事故に遭わないよう、これらの歩行者の歩行上十分な安全性のあるマット等を選択したうえ、さらにこれらのマット等を適切に敷設する注意義務)を尽くしたことになるというべきである(仮にそのようにして選択した本件マットがパンフレットに記載されたような安全性を欠いていた場合には、本来は製造者の責任として考慮すべきものである。)。そうであるとすれば、原告は、原告が注意して本件道路上をあるいていたにもかかわらず、本件事故が生じたこと自体からしても、本件マットが安全性を欠いていたことは明らかであり、本件マットを本件道路上に敷設したことについては被告に過失が認められると主張するが、前記のとおり被告が本件マットをそのパンフレットの用法に従って使用していること、原告本人の供述によれば、原告自身本件マットが本件道路上に敷設された後一か月半余りの間、ほぼ毎日のように本件マット上を歩行し、その間は事故なく推移してきたこと、さらには右一か月半余りの間、本件事故以外に本件マットでの転倒事故が発生した事実は認められないことからすると、被告において、本件マットの敷設につき、歩行者の安全確保の観点からの注意義務違反が存したと認めることはできない。

第四  結論

以上の次第であって、本件マット上で原告の転倒による傷害という不幸な事態が生じたことは事実であるが、本件事故による損害賠償責任を被告が負担するべきかという観点からすると、本件マットの安全性については、特段の問題点は認められないし、本件道路上を歩行者が歩行することを予定して、被告が本件マットを選択したことやその敷設方法について被告の側に特段の注意義務違反が存したとは認められないから、結局、原告の請求は理由がないことに帰すると言わざるを得ない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西岡清一郎 裁判官武藤貴明 裁判官見米正は転任のため署名押印できない。裁判長裁判官西岡清一郎)

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